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活動報告:2006年

第16回夏季研究集会:故・海老原治善 初代所長を偲ぶ会
2006-08-19
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夏季教研シンポと懇親会の間、17時15分からやく1時間、海老原先生を偲ぶ会を教育総研主催で行った。海老原先生が教育総研の研究所交流集会で転倒されたのが1992年8月末。その後、やく13年間も寝たきりになられていらしたが、2005年8月に逝去された。

そのちょうど1年後にあたる2006年8月、先生を偲ぶ会を催すことができた。先生が尽力された教育総研創立15周年にあたる年である。

偲ぶ会は、石井小夜子副代表の進行で、先ず私が献杯し偲ぶ言葉を述べたあと、日教組副委員長で教育総研副代表の一人でもある高橋睦子さんを始めとして、参列者の方々で海老原先生と生前親しく交流のあった方々から偲ぶ言葉をお話しいただいた。

地域教育協議会や学校協議会構想を打ち出す研究委員会の座長を先生にお願いした元・川崎市教職組合委員長の森山定雄さん、日教組の中枢でたえず議論をされていた渡久山長輝元日教組書記長(現在、中教審臨時委員)、まかり間違えば海老原先生にかわって教育総研に関わることになっていたかもしれないという市川昭午さん(国立学校財務センター名誉教授)、海老原先生から北海道教職員組合の学校五日制のとりくみに誘われた山内亮二さん(旭川大学学長兼理事長)、兵庫県教職員組合がおいた研究委員会で共に活動され後にEU関係の活動に海老原先生を誘いになられた増田祐司さん(島根県立大学副学長)、教育総研立ち上げの時に一緒に苦労された元書記の石川昭子さん、学生時代の卒論資料探しの時からのご縁のあった西村絢子日本女子体育大学教授から、それぞれエピソードを交えながらの言葉をいただいた。

また当日の出席は叶わなかった方々からの偲ぶ言葉も、私が紹介した。

共通していたことは、海老原先生がこよなく日教組を愛していた、ということ。それは3月中旬に開いた研究者仲間による偲ぶ会で、鎌倉孝夫元教育総研副代表(埼玉大学名誉教授)が端的に「エビさんほど日教組を愛していた研究者はいない」と話されたことと符号していた。

教育総研にかかわる研究者の多くが海老原先生と縁がある。もう少し時間をかけ、先生の好きだったお酒を酌み交わしながら偲ぶ会をもてれば良かったとは思いつつ、大勢の参加者を得て偲ぶ会をもてたとこでほっとしている。

「元気の出る研究を」を口すっぱく話しておられた先生に期待にどこまで応えられるか自信はないけれど、後に続く研究者を育てながら教育総研の活動を前進させたいとつくづく思わされた偲ぶ会だった。(海老原先生の理論を教え子を中心にしてまとめたものが『教育理論の継承と発展』アドバンテージサーバー、である。是非、ご一読下さい)

嶺井正也・教育総研代表
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