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活動報告:2005年

大田尭講演会
2005-11-23
「基本的人権に思う─教育研究者の立場から」
2005 年11月23日、日本教育会館において大田堯東京大学名誉教授の「基本的人権に思う─教育研究者の立場から」と題する講演会が開催されました。大田堯さんは、今年87歳とは思えない元気な口調で、情熱を込めて90分間にわたりユーモアーを交えた参加者と一体感のある講演をしました。講演の概要は以下のようなものです。
 
 
9条「改正」を声高に反対するだけではだめだ。全国民が勉強することが大切である。賛否両論たたかわせ、よりベターなものにする事が大切だ。憲法を名古屋城の金の鯱(しゃちほこ)に匹敵するものと考えることだ。石垣や、天守閣の上に鯱がある。いま、その石垣ががたがたになっている。石垣は違った石垣が組み合わさってできている。世の中も違った人間が集まってできている。石垣のがたがたは人間相互の無関心から来ている。人間は他者を通して自分を知るものだから他者に無関心では困るのだ。石垣を積みなおすためには、人が生まれながら持つと言われる基本的人権を考えることが必要だ。それは、生まれながら有するもの、すなわち命と同じだからだ。

命の特長には3つある。1つめは、一つひとつの生命個体はちがう。その命の違いを尊重しあう、受け入れるのは難しい事だ。ともすればこの社会は違いを差別や順位に変えてしまう。そうならないようにする羅針盤が基本的人権である。2つめは、すべての生き物は自ら変わる力を持っている。人間はつまずいたり遠回りしたりするのが特徴だ。自ら変わることを相互に信頼し、尊重しあうことが基本的人権の中にある。教育基本法前文では、すべての主権者が個性豊かな文化を創造する社会を求めており、人生は自己創造するものである。3つめは、相互にかかわって生きるということだ。人間は生まれるとすぐに文化の直撃に遭う。学習しなければ生きられない。学習権がなければ生きられないということだ。人間の学習権は生存権と同じだ。子どもの教育は教育を施すものの支配的権能ではなく、子どもの学習する権利に対応してその充足を図るものである。大人の責務だ。

違いを尊重し、自ら変わる中で他者とかかわっていく、それは生命力の発揮であり、基本的人権の尊重である。「日本の民主主義は死のうとしている。抵抗し、殺されるのではなく、安楽死しようとしている。」良心の自由を守ることを核心としながら基本的人権を守ることだ。静かなる抵抗精神が大事だ。
 
※講演は録音してありますので、後日冊子等にすることを検討しています。
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