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活動報告:2006年

“いじめ”、その根源をしっかり見つめたい〜社会への問題提起〜
2006-11-09
“いじめ”による子どもたちの痛ましい“自死”が続いている。そして、その子が通っていた学校の校長が“自死”するといった事態までも生まれてきている。

統計上、学校での“いじめ”は年々少なくなっているといった報道がなされてきただけに、これら一連の子どもと大人の“自死”に私たちは大きな衝撃を与えられた。

今“いじめ”を受けている子どもたちには、かけがえのない命を自ら断つという、あまりに辛い決断をしないで、辛くなったらとりあえず学校を休んで、その辛い状況から抜け出して!というメッセージを届けたい。

その上で、問題の根源、つまり“いじめ”を生みだす構造をしっかりとつかみ、それを根本的に変える取組みを至急始めたい。

その前に、一つ、問うておきたい。不登校の子どもに対し、強制的に登校を促すような措置をとる方向へと文部科学省が舵をきったことが大きな原因の一つになっているのではないか、と。そしてまた、“いじめ”を防げなかった教員を「指導力不足」として認定したり、あるいは、教員評価を低くするといった評価万能主義の教員政策が“いじめ”の温床に踏み込んで解決するという気持ちを教職員から奪っているのではないか、と。

しかし、もっと大きな問題は、国連・子どもの権利委員会から二度にわたって是正を勧告されている日本の「高度に競争的で、子どもの身体的、精神的健康に否定的影響を与える教育制度」を放置していることにあるのではないか。

この競争的教育に参入するには、家庭のそれなりの経済的基盤と条件が必要である。それを満たすことのできない親が子どもを虐待し、虐待を受けた子どもが自分より弱い存在の子どもに“いじめの刃”を向ける。競争的教育に参入した子どもたちは、それはそれとして大きなストレスをかかえ、自己を傷つけるか、他人を傷つけることもある。

この秋に発覚した、高校の、特に「世界史」未履修問題は、受験競争教育の体制そのものから生じたものである。学習指導要領の制定・告示を中心とした教育課程行政そのもののあり方にも問題があるが、一部の「有名大学」への入学者数の増加を数値目標として設定しそれを達成するように高校が管理されていることからもこれは生じてきた。

したがって、教育基本法を改悪し、競争主義の教育を推し進め、教育バウチャーの導入による学校選択を拡大しようとする政策は、問題を解決するどころか、よりいっそう深刻なものにする。

個々の犯人探しをするのではなく、子どもたちが安心して、のびやかに過ごし学ぶことのできる教育制度を実現する議論とその具体化を目ざしたいものである。

教育総研運営委員会
 
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