活動報告:2010年
第20回夏季研:第2分科会
2010-09-03
第2分科会 「教員養成の思想と制度」
コーディネーター:福田誠治(都留文科大学)、池田賢市(中央大学)
コーディネーター:福田誠治(都留文科大学)、池田賢市(中央大学)
1.外国にみる教員養成制度の実態
はじめに、福田誠治さんから、世界の教員養成改革の動向、ヨーロッパの教員養成制度に関する課題提起があった。
ヨーロッパは、国境を越えてアメリカ型を見ながらヨーロッパスタイルにした。ボローニャ・プロセスに合わせ、教員養成は、大学教育+1年に匹敵する単位習得(大学院相当)制度、すなわち4~5年の制度に加盟国全体で制度化された。ECTS(欧州単位互換制度)に基づくクレジットポイント。取得した単位は、記録され修了証に記載される。1年に60クレジットの取得が標準になって在籍年数・学修課程が構成されている。参加している国の大学はどこでも使える制度。中でも大きく変化したのは、ドイツで、古いスタイルとクレジット制が混在していて、現在切り替え途中である。ヨーロッパの大学全体がアメリカ型を導入しながら、共同して生き残ろうとしている。このような変化は、産業と社会の高度化に対応できるように大学進学率を増大させる必要があり、国家財政で維持されてきた大学を拡大し、そのためには市場経済的な競争原理を導入せざるを得ないと各国が判断したことである。
日本は、戦後、アメリカの大学・就職制度を見習ってきた。このような制度は、日本の他には、OECD調査ではアメリカ、イスラエル、韓国である。日本の大学は、単位制を敷くものの、何を教育するかは大学に任されていたと言える。アメリカ的な制度を取り入れながらも、現実にあうように、それぞれの大学が抱えた目の前の学生に合うように、授業も教育全体も作り直していた。それが、郵政改革と同様、国立大学は独立行政法人化され、米英金融界の主導する競争原理が導入されてきた。そして、外部評価、学生評価などの授業評価の導入、授業内容をシラバスとして事前公開など、授業選択、説明責任、授業評価を行うなど、急速に変わろうとしている。
次に、イギリス(主としてイングランド)、フランス、フィンランド、デンマークなどヨーロッパ各国の教員制度が報告された。イギリスは、高等教育機関の養成から、学校現場中心の養成に変化してきている。イギリス・フランス・ドイツには、免許更新制はなく終身有効である。
以上のような提起を受け、会場からは大学入試制度について、中長期的な教員不足の状況はないのかなどの質疑が寄せられた。福田さんからは、ヨーロッパスタイルでは大学に入る前に、17、18歳で一般教養を修了するとする中等教育制度の修了資格(国家試験)が大学入試に使われる。 世界の流れは国境を越えている。日本もそういうことが起こる可能性は否定できないとの話だった。
2.民主党の教員免許の改革について
池田さんから以前に出された民主党の法案をもとに課題が提起された。民主党の教育政策では、①教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、②学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、③地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案が柱となっている。①では、教員の専門性をどう考えるのか議論になるところである。学校現場の問題がどうして教員養成課程を6年にするのか、そうすれば解決するのか。現在、大学では、教員養成カリキュラムに「教職実践演習」が導入されている。「教職実践演習」は、中教審の議論を経て、省令により2010年度の大学入学から2単位の新設科目として履修することが必要になった。目的は、教員として必要な知識技能を修得したことを確認するもので、免許状授与の段階で教員としての適格性を判定するための制度的担保とされている。大学にいるときに適性を判断するという発想は、現場に入って同僚の教員たちとのかかわりの中で鍛えられ成長するという視点の欠如を意味している。また、授業内容や履修カルテ(評価・評定の方法)にも問題があるとしている。教育実習演習は、免許更新制と深く関連していること、教員養成にかかわる改革は十分、検討していくことが必要である。
3.何が問題になっているか、教員養成制度の展望
アメリカが第二次世界大戦後、一貫して追及し、主導してきたのは、貿易の自由化であり、そこには、投資、金融のみならず、各種サービス業も入り、技術、知的所有権、教育などが含まれる。グローバル化が進展し、教育政策で言えば、教育費の削減、規制緩和、教育の民営化という方針が出された。「サービスの貿易に関する一般協定(GATS)」の目的は、サービスと見なせるあらゆる行為を国際的にすべて自由化することにあり、あらゆる教育行為がすべてサービス業として位置づけられている。義務教育部分をさす「基礎教育」さえ潜在的教育市場から排除されないとしている。そして、教育をビジネスにするために、値段を付ける(数値化)、教育が必要かどうかではなく、商品になるかどうかが問題とされる。新自由主義者は価値観をだれが持つかは市場に任せている。そういった意味では、彼らは思想をもたない。これが現在の国際社会である。現代の「知識基盤社会」では、固定的な教育制度、マニュアル通りの伝達、固定的な知識・技能の習得では対応できない。個人の能力を伸ばし、創造性や企画力・計画遂行能力を育成し、生涯学習として学び続けるには、学校教育のあり方を変更せざるを得ない。教員に求められる力は、個々人に適した授業の工夫、創造する能力である。学問的に裏付けられた知識理解、授業として表現し実現する技能、探求し続ける力を育成することが教員養成制度の目的となる。現実的な案として3つのケースが紹介された。教員は、長期的に人を育てるのが仕事であり、教員の専門性、仕事をつきつめて論理を組み立てていくことが重要である。
休憩後の意見交換では、参加者から次のような発言があった。
○ 教員の資質向上の制度を整備することで、免許更新制度は廃止することが重要だ。自分も受講してきたが、官製研修と更新講習の違いがわからない。現職の研修と曖昧なままではないだろうか。自己負担を強いられ、根本論議が必要である。日本はどこに向かおうとしているか、ビジョンが必要である。民主党案の③が気になるところ。学力調査の結果など、首長の教育観の違いが大きく影響してくるのではないかと危惧している。
○ ある都市の採用試験では、倍率がさがったからおもしろい教員がでてきているという話を聞いた。倍率が高くなれば質があがるのか。なぜ、教育各部が生まれたのか、開放制と統合制、そのものが形としてあってもこの間の教員免許法の改正で崩れている。提言では、開放制、統合制、教育学部がめざしてきたものをきちんと押さえるべきだ。
○ 6年制では、教員になる人が減るのではないか。免許・養成に関する、学力調査も含めて社会、保護者へどう伝えるか。オープンに市民と話せるものが持てたらと思う。
○ なぜ、その制度が必要なのか。ベテランの教員が楽しく、健康で生き生きと誇りを持って子どもに向かっているのか。現場は、評価制度や個別状況もあり声に出せない状況。現実に立って方針を立てるべき。
○ 第1ステージ、免許更新制を受講した人の免許状は、平成33年3月31日までの期限付き。今後、もらった人はどうなるのか。
など、活発に議論された。
最後に、福田さん、池田さんは次のようにまとめた。
○ 戦後の開放制、統合制の意味は大きい。教える背景にあるものの根本を教えるのが大学である。みんな同じ力を持ってというのが無理なことであり、知識を構成していく、学び方を学ぶのが大学の役割である。今、大学はものすごい勢いで変わってきている。長い目で、人間を育てる、学びを支援するのが教員の仕事であるという論理をつくっていく必要がある。日本の向かうべき道は、こっちだろうとシュライヒィアーは言っている。(教育と文化60号)立ち止まってみんなで考える時間が必要である。OECDのタリス調査(日本は参加していない)は、教員を対象の調査であり、自らが探して議論して得たものがその人の知識となり、最も指導力のある教員といえる。日本は、高度経済成長期の教育で行き詰っている。知的に創造的に学びを追求していくべき。
○ 世論を認識させるのは、難しい。教員の資質とは何なのか、こまめに保護者と話していくことが必要では。期限付きの免許状については、不利益がないようにしなければならない。政治情勢に影響してくるだろう。教育を消費者としてではなく、生産者として創りあげていく視点が重要である。
はじめに、福田誠治さんから、世界の教員養成改革の動向、ヨーロッパの教員養成制度に関する課題提起があった。
ヨーロッパは、国境を越えてアメリカ型を見ながらヨーロッパスタイルにした。ボローニャ・プロセスに合わせ、教員養成は、大学教育+1年に匹敵する単位習得(大学院相当)制度、すなわち4~5年の制度に加盟国全体で制度化された。ECTS(欧州単位互換制度)に基づくクレジットポイント。取得した単位は、記録され修了証に記載される。1年に60クレジットの取得が標準になって在籍年数・学修課程が構成されている。参加している国の大学はどこでも使える制度。中でも大きく変化したのは、ドイツで、古いスタイルとクレジット制が混在していて、現在切り替え途中である。ヨーロッパの大学全体がアメリカ型を導入しながら、共同して生き残ろうとしている。このような変化は、産業と社会の高度化に対応できるように大学進学率を増大させる必要があり、国家財政で維持されてきた大学を拡大し、そのためには市場経済的な競争原理を導入せざるを得ないと各国が判断したことである。
日本は、戦後、アメリカの大学・就職制度を見習ってきた。このような制度は、日本の他には、OECD調査ではアメリカ、イスラエル、韓国である。日本の大学は、単位制を敷くものの、何を教育するかは大学に任されていたと言える。アメリカ的な制度を取り入れながらも、現実にあうように、それぞれの大学が抱えた目の前の学生に合うように、授業も教育全体も作り直していた。それが、郵政改革と同様、国立大学は独立行政法人化され、米英金融界の主導する競争原理が導入されてきた。そして、外部評価、学生評価などの授業評価の導入、授業内容をシラバスとして事前公開など、授業選択、説明責任、授業評価を行うなど、急速に変わろうとしている。
次に、イギリス(主としてイングランド)、フランス、フィンランド、デンマークなどヨーロッパ各国の教員制度が報告された。イギリスは、高等教育機関の養成から、学校現場中心の養成に変化してきている。イギリス・フランス・ドイツには、免許更新制はなく終身有効である。
以上のような提起を受け、会場からは大学入試制度について、中長期的な教員不足の状況はないのかなどの質疑が寄せられた。福田さんからは、ヨーロッパスタイルでは大学に入る前に、17、18歳で一般教養を修了するとする中等教育制度の修了資格(国家試験)が大学入試に使われる。 世界の流れは国境を越えている。日本もそういうことが起こる可能性は否定できないとの話だった。
2.民主党の教員免許の改革について
池田さんから以前に出された民主党の法案をもとに課題が提起された。民主党の教育政策では、①教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、②学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、③地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案が柱となっている。①では、教員の専門性をどう考えるのか議論になるところである。学校現場の問題がどうして教員養成課程を6年にするのか、そうすれば解決するのか。現在、大学では、教員養成カリキュラムに「教職実践演習」が導入されている。「教職実践演習」は、中教審の議論を経て、省令により2010年度の大学入学から2単位の新設科目として履修することが必要になった。目的は、教員として必要な知識技能を修得したことを確認するもので、免許状授与の段階で教員としての適格性を判定するための制度的担保とされている。大学にいるときに適性を判断するという発想は、現場に入って同僚の教員たちとのかかわりの中で鍛えられ成長するという視点の欠如を意味している。また、授業内容や履修カルテ(評価・評定の方法)にも問題があるとしている。教育実習演習は、免許更新制と深く関連していること、教員養成にかかわる改革は十分、検討していくことが必要である。
3.何が問題になっているか、教員養成制度の展望
アメリカが第二次世界大戦後、一貫して追及し、主導してきたのは、貿易の自由化であり、そこには、投資、金融のみならず、各種サービス業も入り、技術、知的所有権、教育などが含まれる。グローバル化が進展し、教育政策で言えば、教育費の削減、規制緩和、教育の民営化という方針が出された。「サービスの貿易に関する一般協定(GATS)」の目的は、サービスと見なせるあらゆる行為を国際的にすべて自由化することにあり、あらゆる教育行為がすべてサービス業として位置づけられている。義務教育部分をさす「基礎教育」さえ潜在的教育市場から排除されないとしている。そして、教育をビジネスにするために、値段を付ける(数値化)、教育が必要かどうかではなく、商品になるかどうかが問題とされる。新自由主義者は価値観をだれが持つかは市場に任せている。そういった意味では、彼らは思想をもたない。これが現在の国際社会である。現代の「知識基盤社会」では、固定的な教育制度、マニュアル通りの伝達、固定的な知識・技能の習得では対応できない。個人の能力を伸ばし、創造性や企画力・計画遂行能力を育成し、生涯学習として学び続けるには、学校教育のあり方を変更せざるを得ない。教員に求められる力は、個々人に適した授業の工夫、創造する能力である。学問的に裏付けられた知識理解、授業として表現し実現する技能、探求し続ける力を育成することが教員養成制度の目的となる。現実的な案として3つのケースが紹介された。教員は、長期的に人を育てるのが仕事であり、教員の専門性、仕事をつきつめて論理を組み立てていくことが重要である。
休憩後の意見交換では、参加者から次のような発言があった。
○ 教員の資質向上の制度を整備することで、免許更新制度は廃止することが重要だ。自分も受講してきたが、官製研修と更新講習の違いがわからない。現職の研修と曖昧なままではないだろうか。自己負担を強いられ、根本論議が必要である。日本はどこに向かおうとしているか、ビジョンが必要である。民主党案の③が気になるところ。学力調査の結果など、首長の教育観の違いが大きく影響してくるのではないかと危惧している。
○ ある都市の採用試験では、倍率がさがったからおもしろい教員がでてきているという話を聞いた。倍率が高くなれば質があがるのか。なぜ、教育各部が生まれたのか、開放制と統合制、そのものが形としてあってもこの間の教員免許法の改正で崩れている。提言では、開放制、統合制、教育学部がめざしてきたものをきちんと押さえるべきだ。
○ 6年制では、教員になる人が減るのではないか。免許・養成に関する、学力調査も含めて社会、保護者へどう伝えるか。オープンに市民と話せるものが持てたらと思う。
○ なぜ、その制度が必要なのか。ベテランの教員が楽しく、健康で生き生きと誇りを持って子どもに向かっているのか。現場は、評価制度や個別状況もあり声に出せない状況。現実に立って方針を立てるべき。
○ 第1ステージ、免許更新制を受講した人の免許状は、平成33年3月31日までの期限付き。今後、もらった人はどうなるのか。
など、活発に議論された。
最後に、福田さん、池田さんは次のようにまとめた。
○ 戦後の開放制、統合制の意味は大きい。教える背景にあるものの根本を教えるのが大学である。みんな同じ力を持ってというのが無理なことであり、知識を構成していく、学び方を学ぶのが大学の役割である。今、大学はものすごい勢いで変わってきている。長い目で、人間を育てる、学びを支援するのが教員の仕事であるという論理をつくっていく必要がある。日本の向かうべき道は、こっちだろうとシュライヒィアーは言っている。(教育と文化60号)立ち止まってみんなで考える時間が必要である。OECDのタリス調査(日本は参加していない)は、教員を対象の調査であり、自らが探して議論して得たものがその人の知識となり、最も指導力のある教員といえる。日本は、高度経済成長期の教育で行き詰っている。知的に創造的に学びを追求していくべき。
○ 世論を認識させるのは、難しい。教員の資質とは何なのか、こまめに保護者と話していくことが必要では。期限付きの免許状については、不利益がないようにしなければならない。政治情勢に影響してくるだろう。教育を消費者としてではなく、生産者として創りあげていく視点が重要である。