本文へ移動

活動報告:2010年

第20回夏季研:第4分科会
2010-09-05
rt4.JPG
 
 
 
image002.gif
 
 
 
g2.gif
 
第4分科会 「何でもアリ」の「キャリア教育」を再考する
コーディネーター:筒井美紀(法政大学)
 
 はじめにコーディネーターの筒井さんから、「キャリア教育」を考え直そうという分科会の趣旨と進め方の説明があり、参加者のグルーピングが行われた。
 
 
  まず、①「キャリア教育」の適齢期、②「キャリア教育」と進路指導、③「キャリア教育」と体験学習、④「キャリア教育」とジェンダー、という4つの「お題」が提示され、参加者は自分の興味関心のある「お題」でグループを作る。それぞれのグループで「お題」に関する「問い」を立て、議論をして「解」を見つける。今回は①3人②6人③6人④3人のグループができた。
  発表はグループ②から。「『キャリア教育』とは何か?」の問いから始まり、「『キャリア教育』は、『どんなふうに生きたいか』と『自己の適性は何か』を考えさせ、目的合理的に職業や進学先を選ばせることなのだろうか?」を議論した。導き出した解を図式化して発表。
  いかに人生楽しく、仲間とともに生きることが大事かというプラス思考を18歳の段階で伝えること。人権教育のようにプログラムを組んで、労働教育をカリキュラムかすることが必要であるという解を導き出した。
  つづいてグループ③は、「『キャリア教育』は『ボランティア体験』や『職場見学』など、何らかの実体験をともなわないと成り立たない/あるいは効果的ではないのだろうか?」という問いに対し、グループ②の図で、進路指導と労働教育の円が重なるようにし、その重なった部分の中の一部として位置づけられれば効果的ではないか、という解を出した。
  グループ①は、「『キャリア教育』はどの学校段階のどの学年から始めるのが適切なのか?」の問いに、働くことや責任感などを考えることは小学校段階でもでき、「キャリア教育」を「生きていく力を身につけること」とするなら高校で終わるものでもない。好きなことややりたいことを持っていることが大事ではないか、という解を発表した。
  グループ④は、「『キャリア教育』には女性特有の課題があるのではないか?」「ジェンダー意識はいつ再生産されるか?」という問いに、女性には機会も期待もない、ロールモデルが少ないという課題がある。誰かにとって男女が分けられているほうが都合がいいのではないか、分けていればトラブルもない。しかし、トラブルがあった時の解決策を身につけさせたり、現実や権利について子どもが考えるカリキュラムづくりが必要である、という解を出した。
  全体の討議で、「学校でキャリア教育がすすまないことはかえって健全ではないか」という意見が出された。いかに生きるかを考えることは必要であるが、大合唱のタクトを振る人の意図に胡散臭さを感じる。筒井さんからも、「キャリア教育の危うさ」として、次の3点が指摘された。
 
 
① 労働市場での成功にゴールを収斂させる「磁気」。それは、フリーターにさせない教育こそ肝心だといった考え方と、「失敗」した人を自己責任論によって非難する風潮を強める。
② すべてが「将来のため」になりがちで、「いま・ここを楽しむこと」が形骸化する。将来のために今やることを考えて実行するのは大事だが、それだけの人間形成などあり得ない。
③ 今の「キャリア教育」は、「自分はどんな仕事に向いているか」という適性から「どんな生き方をするか」を考えさせるもので、「個人(わたし)」に終始し(右図下部)、社会の次元が欠けている。だから子どもたちに必要なのは、「社会のしくみを知り、すべての人が生きやすい社会にするにはどうしたらいいかを考えること」である。そのため教員には「キャリア教育」の解体的理解と限定的活用が必要だ。
  以上の筒井さんの話に、参加者は新たな視点を与えられた。
TOPへ戻る