出版書籍紹介:2010年
【図書紹介】苅谷剛彦・金子真理子編著『教員評価の社会学』
2010-11-29
苅谷剛彦・金子真理子編著『教員評価の社会学』(岩波書店、2010年)を読む
広瀬 隆雄(桜美林大学教員)
教員は子どもたちを常に評価しているのに、教員自身が評価されないのは問題ではないのか。民間企業では社員に対する業績評価は日常的に行われているのに、なぜ教員は抵抗しようとするのか。勤務成績のよい教員を特別に処遇すれば、やる気が出るのではないか。こういった素朴な疑問や意見に後押しされて、教員の世界にも新たな評価制度が広まっている。
2000年「教育改革国民会議」の提案と2001年「公務員制度改革大綱」の閣議決定を受けて、文科省は2006年度から新たな教員評価制度を本格的にスタートした。以前からあった勤務評定と異なる点は、業績判定だけでなく、能力開発も目的にしている点にある。「能力開発型」教員評価の特徴は、一言でいえば目標管理の手法による能力開発だ。つまり集団目標のもとで自己目標を設定し、年度末にその自己評価を行い、次年度にその反省や課題を活かすというサイクルを通して、教員の資質・能力の向上をめざそうとする。
本書は、全国的に広がる教員評価制度の中で、主として宮崎県の事例を取り上げている。教員評価の制度設計から実施に至るプロセスを中心に、評価対象となる教員の受けとめ方も対象にして調査・分析を行っている。調査の方法は2つ。一つは、宮崎県教育委員会、教育事務所職員などを対象に行ったインタビュー調査。もう一つは、宮崎県内の公立小・中学校の教師を対象に実施した質問紙調査(回答者数は、816名)である。
本書の大半は、この宮崎県の教員評価制度の調査データの分析に当てられている。当初、県教委が実施しようとした評価制度のプランは、現場の教員の抵抗を受けて変更を余儀なくされた。現場には、教員集団の中で伝えられてきた教育実践や学校組織に関する経験知の蓄積がある。つまりこうした「現場の文法」によって、行政側の評価プランが「翻案」されたわけである。ここから本書の課題は、①改革側はなぜ、教員評価制度を導入しようとしたのか、②なぜ教員たちは反対したのか、抵抗感の源泉にある「現場の文法」とは何か、③改革は、改革側と教員側のどのようなロジックによって変容されたのか、等々とされる。
調査結果のすべてを紹介できないが、興味深い結論のいくつかを紹介しよう。第1に評価と処遇の連動は、管理職希望者には有用な動機づけの手段として機能するが、ベテラン教員の場合は、一般的に動機づけの手段として機能していない。第2に評価制度への抵抗感は、力量向上のための努力をしているにもかかわらず、自分が正当に評価されないとみる教員に多くみられる。それは年代が上がるにつれて、また管理職志望をもたない教員ほど多いという。つまり「現場の文法」によって自らの力量を形成してきたベテランの教員ほど、評価制度への抵抗感が強く、それが有用な動機づけの手段として機能していないことを意味する。
本書では、こうした調査データの分析以外に、教員評価の理論的考察を主とした章もある。そもそも教員の成長とは何か、それは教員評価によって達成されるのかという課題意識を展開した第8章(由布佐和子)、教員評価制度が抱える課題や可能性を理論的に検討した終章(苅谷剛彦・諸田裕子)である。この二つの章は、評価制度の批判的検討だけでなく、それを通して教職という仕事の社会的特質を追究している点で特徴的である。
第8章で由布は、改革側の提示する教員評価の項目が、各教員の職能成長に応じて求められる組織の役割期待であると指摘する。すなわち教員の成長=「役割の獲得」という成長観である。そこでの前提は成長発達の連続性だ。しかし、予期せぬ変容の契機となるような出来事に直面し、その壁を乗り越えることによって、新たな何かを獲得する。このような飛躍による転換も成長ではないか。ところが改革側の教員評価には、こうした「飛躍と転換」という断続的変化の視点がないという由布の批判は的確である。
一方苅谷は、評価制度の限界についてのべている。教員評価は、複雑で多様で微妙な、しかもその成果が短期的にとらえにくい「教えるという仕事」を、外形的に評価しようとする試みである。しかし、教育につきもののロマンティシズム(「よきものとしての教育」)は外形的に評価しにくい「神聖な心情」に根ざしている。それは客観化や言語化、数値化が難しい「何か」である。制度化された評価が十分切り込めない理由、そして教育のロマンティシズムを奉じる教員が評価に対して抱く違和感の根拠がそこにあるという。とはいえ今日の教員は評価から逃れることはできず、教育という営みのロマンティシズムといかに向き合うかが根源的な課題である、という苅谷の指摘は重く受けとめねばならない。
最後に教員評価が多忙化の一因になっている事実にも目を向けるべきである。誠実に評価を行おうとすればするほど、教員も管理職も「子どもと向き合う時間」が奪われるという皮肉な事態を生んでいる。この点についての由布の指摘が面白い。教員評価の無効化の話だ。教員が作成する自己評価書の項目は、学校の教育目標に沿ってつくられるが、毎年、学校の教育目標に大きな変化がないので、前年度の項目の「コピペ」でやり過ごす教員もいるという。多忙化の解消なしに善意で行われる教員評価が、こうした現場におけるしたたかな戦略によって形骸化される日はそう遠くないかもしれない。
教育と文化61号
2010-10-25
教育と文化 60号
2010-07-25
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