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活動報告:2006年

第25回「子どもの視点に立った不登校・いじめ問題を考える」
2006-12-11
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■2006年12月11日(月)18:30〜20:30 日本教育会館8階 第二会議室
■問題提起
   奥地 圭子(東京シューレ)
   山下英三郎(コーディネーター、日本社会事業大学)
   内田 良子(司会、子ども相談室「モモの部屋」)
   西野 博之(川崎市子ども夢パーク)
   高橋 洋子(神奈川県・高校養護教諭)
 
 
いじめ・シカト・不登校──
ようやく居場所を見つけた子どもたちが、
リアルな体験を語った

●「教育総研」公開研究会の報告から

国民教育文化総合研究所(教育総研)は、2006年12月11日、東京・一ツ橋の日本教育会館で「不登校・いじめ問題を考える」と題して第二十五回夜間公開研究会を開き、話し合いに参加した子どもたちが、「いじめられ、あるいはいじめた経験」を生なましく打ち明けた。

「小学校1年のとき、いじめが始まった。何をされるか分からない恐怖に襲われた。友だちの家に逃げ込み、かくまってもらったこともある。3年になる頃、クラスのほとんど全員が集団で私をいじめるまでになり、とうとう学校に行かなくなった。先生が助けてくれると思い、頼りにしたのに何もしてくれなかった。いじめられるのを我慢してまでどうして学校に行かなくてはいけないの? そう思い悩んだ。いま、やっと気持ちが落ち着いた。体験を静かに話せるようになった」

「中学1年のとき、仲の良かった友だちからシカトされるようになりました。そのうちに、机の中に手紙がポンポン入れられるようになった。謝らないとか、ありがとうを言わないとか、いっぱい書いてある。ちゃんと言ってきたつもりだった。つらくて学校に行かれなくなりました。先生に理由を聞かれ、説明したんだけど、なんとかして学校に行かせようとするだけだった。とうとう、自殺を考えました。お母さんの顔を思い浮かべてようやく死ななくて済んだ」

「やはり中学1年でいじめられるようになりました。死ねと何度も言われた。先生? 結局、“いまいち”だった」

「私はいじめる側だった。そうしないとみんなの中で浮いてしまうのではないかという恐怖感があった。皆に合わせなければならないという学校の環境が息苦しくて不登校になりました。先生は、何の対応もしてくれなかった。何も知らなかったのかもしれない」

子どもたちの肉声は、重く、聞く側の胸を揺さぶり続けた。

公開研究会の詳報は、コーディネーターを務めた山下英三郎(日本社会事業大学)、司会役の内田良子(教育総研運営委員)、発言者、奥地圭子(子どもたちの居場所「東京シューレ」主宰)、西野博之(「川崎市子ども夢パーク」)、高橋洋子(高校養護教諭)の皆さんの言葉を含め、季刊「教育と文化」47号(2007年3月20日刊行予定)に掲載します。
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