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活動報告:2006年

第16回夏季研究集会:第1分科会「インクルーシヴ教育」
2006-08-19
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問題提起 姜博久
 
まず、DPIの姜博久さんより障害当事者として問題提起があった。一点目として、「これからの障害児の教育は障害児教育であってはならない」、つまり、「障害」から子どもを見るのではなく、一人の個人として見る必要があるということ、二点目として、子どもが友人と遊んだりする「共に生きる場」が確保されていない中で、親や教師が専門性への依存を高めている結果、子どもが親や学校の都合で「専門性」の中でのみ生活する(療育施設やヘルパー、ディサービスの利用等)ことが強いられている現状が語られた。

会場には各地から20名強が参加しており、各地の特別支援教育の状況として、概してトップダウン式に導入されており、合わせて養護学校や特殊学級の子どもが増加していることが報告された。

争点として、以下の3点が挙げられた。まず、分けないで一緒にしていくことの良さは何か?分けない場で、どのような力をつけていくのか。入試の問題が解ける力なのか、人と交わって生きていく力なのか、あるいは他の力なのか。概して「できる」/「できない」に私たちはとらわれているが、何が「できる」ことを「できる」と私たちはいっているのか、検証が必要である。また、「子どもにとって一番良い教育とは」という文言がよく使われるが、それを決めているのはあくまでも大人側である。だとしたら、それは絶対視できないものであることを念頭に置く必要がある。

次に、保護者や教員の専門家志向が強い現状について。それは子どもに対する不安の裏返しであるという意見が出された。親が変わっていく変わり目をどのように作るのかが、教師の実践に問われている。

最後に、インクルーシヴ教育とは何か。一体どのような実践がインクルージョンなのか。インクルーシブ教育は障害児のみの教育ではない。学校のあり方を問うものにならないといけない。その意味では、今までの「共に」の実践も見直して行く必要があるのではないかという意見がだされた。
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